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「忍び」の真髄とは…“最後の忍者”甲賀流伴党21代目宗家に課せられた使命

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「忍び」の真髄とは…“最後の忍者”甲賀流伴党21代目宗家に課せられた使命

産経新聞2014年10月29日(水)20:17


「忍び」の真髄とは…“最後の忍者”甲賀流伴党21代目宗家に課せられた使命
(産経新聞)

 戦国時代を中心に活躍し、小説や映画、アニメにも登場して世界的に知られるようになった「忍者」。一子相伝とされる忍術を受け継いだ、おそらく現代に生きる最後の忍者が、甲賀流伴党21代目宗家、川上仁一さん(65)だ。手裏剣を使うなどして敵を倒すイメージの強い忍者だが、実際は極秘に情報を収集して持ち帰る専門職だった。しかし川上さんは「現代において伝統的忍術をやる意味はない」と断言し、次代への伝承も考えていないという。忍術はなぜ、廃れてしまったのか。(加納裕子)

■呼吸法、断食・断水、土を食べたことも…

 川上さんは昭和24年、福井県若狭町生まれ。父は会社勤めをしながら農業に従事、母も農業を手伝っており、忍者ではない。

 川上さんは6歳ごろ、家の近くで先代に出合った。子供の目に映った先代は、修行僧のような格好をしたおじいちゃん。だが川上さんの前で、地面にすいすいと絵を描いたり、手にした物を素早く投げる。すっかり感心して、遊びのつもりでまねをしているうちに、のめりこんでいった。

 先代も、この子なら、と見こんだのであろう。訓練が始まった。呼吸法に始まり、歩き方や立ち方、動き方、視覚や聴覚を研ぎ澄ます訓練も。体のできていない幼少期は忍術の基礎を習得し、成長するにつれて訓練は激しくなった。断食や断水、断塩。土を食べたこともあったという。

 家では、忍術を学んでいるなど気づかれないように振る舞っていた。が、中学2年のとき、先生が川上さんの異変に気づく。「手が真っ白じゃないか」。繰り返し強い振動を受けた人に見られた「はくろう病」と呼ばれる神経障害だったのだ。先生に事情を聴かれ、両親にも連絡が入った。話を聞いた両親は、「それで…」と納得がいった様子だったという。

 高専に進むと、武術部を作って友人たちと堂々と忍術の道を突き進んだ。18歳のときには、高齢になった先代から甲賀流伴党を継ぎ、21代目宗家に。系図や由緒書き、忍術の秘伝書や武具など一切を引き継いだ。大手メーカーに勤務の傍ら鍛錬を続けたという。

 現在は退職し、三重大学社会連携研究センター特任教授、伊賀流忍者博物館名誉館長として忍者研究に携わる。受け継いだ書物の解析は、三重大学で進められている。

■諜報・奇襲の忍術、江戸時代が転換期

 忍者が最も活躍したのは、南北朝時代から戦国時代。京都から山を隔てた甲賀(滋賀県甲賀市)と伊賀(三重県伊賀市)が有名だ。農業を営みながら忍術を習得し、戦国大名らの雇い兵となっていたという。敵地で諜報活動を行い、戦時には放火などの奇襲攻撃を行うこともあった。

 なぜ、忍者はこうした仕事を請け負ったのか。伊賀流忍者博物館の学芸員、幸田知春さん(33)は「食べていくためでした」という。幸田さんによると、当時の日本は疫病や地震が多く、凶作が頻繁に起こった。忍びの仕事を請け負ったのは報奨を獲得し、家族を養うためだったと考えられている。

 忍者は変装術や侵入術、火術などを駆使し、人から情報を引き出すために人間の感情や欲望も熟知していた。「武術のイメージが強いですが、人とのコミュニケーション能力も重要。忍術はいわば総合生存技術だった」と幸田さんはいう。

 だが、江戸時代に入ると戦乱が減り、活躍の場は限られていく。各地の大名に雇われ、参勤交代の護衛や探索などに働いたが、この時点で、すでに忍術は廃れ始めていたようだ。

■血を流さずに争いに勝つ

 川上さんが引き継いだ忍術は、尾張藩(愛知県西部)に士官していた甲賀流忍者の家系、伴家が幕末に組織された「甲賀勤皇隊」に加わり、このときに他の家系に伝わっていた忍術も含めて「甲賀忍之伝」として体系化したものという。幸田さんは川上さんが忍術を受け継いだことを「非常にまれなケース」と評価しており、伝統的な忍術を体得した現代人としては最後の存在としている。

 しかし、川上さんは22代目への伝承を予定していない。「現代社会で、夜中に忍び込んで火を付けて人を陥れるような訓練を幼いころからする必要はない。他にもっと人生に役立つことがある」と考えるからだ。

 ただ、現代に通じる要素もある。忍者は盗賊と紙一重。その違いを分けるのは、私利私欲ではなく他人のために行う「正心」があるかないかだった。その一線を守りながら事前に情報を取り、謀略を巡らせて血を流さずに争いに勝つという忍術的な戦略は、今でも活用できそうだ。

 川上さんは「忍術的な思考はさまざまな局面で生かせる。こうした忍者の精神性こそ大事」という。忍者の実像を通して日本人の精神を海外に伝え、日本の魅力を発信しようと海外での講演も精力的にこなしている。“最後の忍者”は新たな使命のために文字通り、飛び回っている。

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